# WEBマガジン「D」
特別対談 藤田俊太郎×五戸真理枝

共通項は1980年、演出助手の経験、そして物語。
―まず初めにお互いの印象をお伺いしたいと思います。
五戸さんにとって藤田さんはどのような印象でしょうか?
五戸
藤田さんを初めて劇場でお見かけした時の印象がすごく強くて、私は2022年にBrillia HALLで行われたミュージカル『 手紙 』という作品での藤田さんの劇場での居方が、すごいと思いました。開場の時は受付でお出迎えして、その後演出部のように裏を走りまわっている姿を見て、終演時には受付付近にいて「ありがとうございました」と支配人のようにお見送りされている。本当にすごいなと思ったんです。全てを支配している人の姿で、且つ気取りがないところが印象に残って、「 この人とお話してみたい 」と第一印象で思ったんです。
藤田
本日はお声がけいただき、誠にありがとうございます。今、五戸さんが言ってくださったことが、劇場で演出作品の公演時、今の所の僕の基本スタイルです。稽古して、初日を迎えてその後現場を離れる時もあるんですけど、僕は自分の演出作が大好きなものですから、できるだけ作品の近くにいたいなと思っています。
五戸
いいですね。
藤田
今のところ自分が演出を担った作品はほとんど観ています。全国公演も含めて。
五戸
全国公演も?!すごいですね。
藤田
はい。でも僕、というよりは、プロデューサーがすごいです。全国公演の演出家の移動費、旅費を出すという英断( 笑 )
一同 ( 笑 )

藤田
観る理由として1番大きいのは、初日を迎えてからも作品によっては、育つ可能性を残しているのではないかと考えているからなんです。もちろん開幕したら根本から演出を変える事は出来ません。でもお客様が喜んでくださったり上演中ダイレクトに反応をしてくださる事で作品は毎日変化し続けるわけです。作品の根っこはどこにあるだろうかと思考をし続けながら芝居を観ています。劇場の入口でお客さんを迎えるのは2014年にミュージカルを初めて演出した時からずっと変わらずに続けています。
五戸
そうなんですか。
藤田
はい。今回、対談するに当たって考えてみたのですが、五戸さんと僕の共通項っていうのは何か大きく三つある気がしてるのですが…1つ目は1980年…。
五戸
あ、そうですね。
藤田
年が同じということ。因みに何月生まれですか?
五戸
7月です。
藤田
僕は4月生まれなので、あまり変わらないです!2つ目は演出助手をやっている時間があるという事。僕は約10年演出助手を務めました。そして3つ目が今日の大きなテーマである「物語」。五戸さんの演出された『 石を洗う 』を通して、「 物語 」のことをお話できるんじゃないかと思っています。まず、1つ目、2つ目ですが、僕は20代前半で蜷川幸雄さんの作品に出会ってあまりの素晴らしさに人生が変わる衝撃を受け、憧れました。初めは役者として現場に関わらせていただいて、その後演出助手を志願しました。毎日が刺激的で楽しくて、得たものしかないと思える時間の中で、忘れられない事は沢山あります。蜷川さんは、どれだけ忙しくても、海外公演や全国公演の幕開きには必ず劇場に来ていた事とかを思い出しますね。

五戸
そうなんですかっ?
藤田
はい。できるだけ劇場でご自分の演出作品をご覧になっていました。蜷川さんが一本一本の作品をとても大切に演出される姿を見たからこそ、僕もそうありたいといつも強く思っています。僕が蜷川さんの現場に関わるようになった2000年代以降の蜷川さんの現場は、開幕してから助手を1人劇場に残す事がすでに定着していました。初めて現場に残った時はとても嬉しかったです。蜷川さんは、よく上演時間が延びてないか、細かい芝居が変わっていないかなどを凄く気になさっていました。全国公演でも蜷川さんの隣にいて芝居を観る機会がたくさんあり、その時に蜷川さんが何を感じ、何を役者に伝えるのかを体感することで、作品は育つという実感があったんです。稽古で演出家と役者、スタッフと積み重ねたものが、本番の公演を経て、日々、着実に、更に充実した作品に進化していく。自分の作品への関わり方は、今後変わっていくかもしれないのですが、蜷川さんのように演出公演に愛を持ち続ける関わり方をしたいと願っています。
五戸
すごいですね。
―五戸さんの演出助手の経験もお伺いしたいと思いますがいかがですか?
五戸
私も自分が作った作品は見ていたいなと思っています。ちょっと似たような経験で、私の場合は演出助手だけじゃなくて、小道具とか衣裳とかもやっていて、なので見ている時間が多く、またその時間が自分には有効だったんですよね。演出部の中にすごい芝居好きの先輩がいたりして、毎回照明のフロントのところから上演中の何もすることがない隙間時間に芝居を見ている人がいたんです。その人の真似をある日始めたら、初めはわからなかったんですけど、全国公演で100回以上同じステージを観ていて、芝居の違いみたいなのがちょっとずつわかってくるんです。今日はノリが良かったとか、今日はなんか穏やかだったなみたいなのが分かるようになって、同じ場面でも受ける印象の差は大きいぞと思ったんです。何が違ったのか。これを検証するのは大事なことかもしれないと…なんかちょっと似てますね。
藤田
100回っていうのは、演出部で現場についているということですか?
五戸
はい。全国に演劇鑑賞会という団体があって、そこに買ってもらって各地を回っていく旅公演で。
藤田
えぇ。
五戸
1ステージ毎に大道具を建てては、壊してみたいな場所もあって、美術を運んだりとか、建てたりとかもやってました
藤田
なぐりも持てるという事ですね。
五戸
なぐりも持ってましたね。でも私ちょっと、物理が苦手で何回教わっても駄目だったんです…。でも衣裳とか小道具とか、そういう細かい仕事は結構好きでした。

藤田
僕も演出部やりました。舞台袖で退場した役者の体についた血糊を拭いたりもしました。もちろん転換も担当しましたし、波布をやったことも、、。
五戸
本当ですか?
藤田
波布をずっと揺らしたりとか。
五戸
波布って結構センスいりますよね。
藤田
相当センスがいります。うまく出来なくてたくさん練習しました。( 笑 )空気の入れ方にコツがあると思うのですが、センスがなかったんです。藤田を舞台上の目立つ場所に配置するなと怒られてしまいました( 笑 )
一同 ( 笑 )
蜷川幸雄の横にいた…
10年の演出助手のつながりが今の仕事を作っている…
ー藤田さんが蜷川幸雄さんの演出助手をされていて、現在はミュージカルの演出までされるようになっているかと思いますが、どのような経緯でそうなっていったのでしょうか?
藤田
本当に全て奇跡でしかないんですけど、まず初めて演出家としての外部オファー、プロデューサー宮本善美さんが、ミュージカルを依頼してくださったんです。僕はミュージカルもストレートプレイもいろんなお芝居が好きですし、いつか色々な舞台を演出できたら良いなっていう思いは当然ありましたけれど、キャリアはそのオファーの段階で2本。1本は2011年の自主公演、しかも内容は、企画製作/作・演出。
一同( 笑 )

蜷川幸雄氏 × 藤田俊太郎氏
藤田
新宿ゴールデン街劇場を自分でお金を出して、レンタルするために、劇場へ交渉にも行きました。そして、その次にもう1本上演した作品が後々のミュージカル演出に繋がるんです。2012年に彩の国さいたま芸術劇場で小作品を上演したんです。蜷川さんも参加されていたオムニバス公演なのですが、劇場の色んな所で場所を見つけて上演をするんです…。例えば廊下で公演したりして。僕は作業場で上演しました。テネシー・ウィリアムズの『 話してくれ、雨のように 』という作品を作業場の金属音と雨のSEの音を重ねながら上演したんですけど、その公演が繋がって2014年1月新国立劇場小劇場で上演した、『ザ・ビューティフル・ゲーム』の演出のオファーをいただきました。他にもこの依頼を受けた要因はあって、僕はアマチュアバンドを組んでいるのですが、音楽が好きならミュージカルに興味あるんじゃないか?っていうこの「 じゃないか? 」が奇跡的に重なりました。『 ザ・ビューティフル・ゲーム 』は主題が“写真”だったりもして。
五戸
へえ…!
藤田
僕が大学で写真専攻だったことも知ってくださっていて、彼しかいないと思ってオファーをいただきました。それがキャパ400人で初めてのメジャーデビュー作品となったわけです。しかも音楽はアンドリュー・ロイド・ウエバー。話が長くなりましたけど、以上です。
五戸
すごい面白い話!
藤田
そのミュージカルに出演いただいたキャストの皆さんと今も仕事を続けています。
五戸
すごいですね。
藤田
蜷川さんからは「 キャリアのない藤田に依頼がくるなんて奇跡。1本目いきなりミュージカル、挑戦してこい。とにかく終わったら戻ってくればいいからな 」と言ってくださっていて。僕、当時34歳だったんで、これで駄目だったら演劇はここまでだなと思ったんですよ。“時が来た”って感じなんです。そう思って演出し、お客様に喜んでいただけて…
五戸
面白い。
藤田
その公演が14回公演だったんですけど14回終わった時には、数本の演出オファーをいただくことができました。
一同 えーすごい!!
藤田
奇跡です!!
五戸
奇跡というかすごいです。
藤田
これは、びっくりしました。それで、その次のお仕事が音楽劇、2015年寺山修司さん作『人魚姫』。そして2016年ミュージカル『 手紙 』、『 ジャージー・ボーイズ 』。音楽が重要な役割を果たす作品です。こうやってミュージカルのお仕事が続き、今に至っております。
―こういう藤田さんのプロセスを知っている人いるんでしょうか?
藤田 聞かれる機会が少ないですし、あまり話した事ないです。
―藤田さんは彗星の如く現れたという印象をお持ちの方もいると思うので、今の話はすごく貴重で興味をそそられます
藤田
本当に、突如として演出家になりました。ただ…演出助手時代の繋がりがあったからこそ、役者の方などから「 あいつ、もしかして演出をしたら面白いかもしれない 」と、方々に話した方が複数人いらっしゃったり、記者の方々からも、蜷川さんの取材をなさっていた時に、僕はその隣にいたので“あの助手の彼”っていうふうに覚えてくださっていた事も多かったんですね。蜷川さんが育成という観点も含めて、繋がるチャンスをつくってくださいました。
五戸
知り合っている状態で一緒に作品を作れるって本当に宝だろうと…
藤田
そう思います。五戸さんもきっとそうですよね。
五戸
私もそうですね。1作品ではわかり合いきれないこともあるし、意思疎通が一番大事というか、そこが全てに表れるというのはすごく思います。
劇作家になりたい…
中学生の頃刻まれた阪神・淡路大震災の記憶

阪神・淡路大震災
―五戸さんが演出助手から演出になられたきっかけもお伺いできますでしょうか
藤田
面白そうですね
五戸
私もすごくデビューが遅くてですね、実はずっと劇作家になりたかったんですよ。だから文学座は準座員になれば企画は出せるんですけど、自分が演出することは頭になかったんです。でも、ちょうど私も2014年に、劇団でシェイクスピアフェスティバルをやることになって、スタッフとして関わるかな?ぐらいだったんですけれど、先輩の鵜山仁さんがみんなに声をかけて一本演出しようと…。直々に電話がかかって来たんですね。「 何かを選べ 」みたいな感じで…
藤田
そんな言い方なんですか( 笑 )
一同 ( 笑 )
藤田
そんな鵜山さん見たことないですけど( 笑 )
五戸
全然そんな言い方じゃないんですけど( 笑 )でも鵜山さんから電話がかかってきて断わることはできなくて、「 考えてみます 」と言って。私は、シェイクスピアは見てましたけど、どうしても自分に演出できる気がしないというか、遠いという感じがしていて。だからわざとシェイクスピアではなくてシェイクスピアを脚色した太宰の新ハムレットを選んで上演したんです。
藤田
それはデビューですか?
五戸
それが座員になってから初めて文学座のプロの俳優と一緒に作った作品ですね。
藤田
ということはその前は…?
五戸
その前はですね…
藤田
何かを出し惜しみしてますね( 笑 )その前は出演されてたとか??
五戸
俳優もやっていました。でも、高校生の頃から演劇部で劇作家になりたかったんですよね。
藤田
高校のころから演劇部…その関西のですよね。
五戸
関西です。兵庫県ですね。
藤田
兵庫県って演劇は盛んなんですか?
五戸
えっと、宝塚とかがあります。
藤田
そりゃそうですね!
五戸
だから演劇好きの友達は結構いっぱいいて、男役のブロマイドを持ってる人とか沢山いるんですよね。でも、私が演劇に一番惹かれたのは、ちょうど阪神・淡路大震災があった頃で…私は14歳でした。
藤田
1995年の1月ですね。
五戸
私が住んでいた地区は、建物の倒壊とかは全然なかったんですけど、六甲山を越えた神戸の方が大変なことになっていて、そこから転校生がいっぱい来たんですよね。空き地に仮設住宅がバーッと建って、中3の1年間だけ一緒にいた友達が何人もいて、今振り返ってみるとその経験が大きいかもしれないなと思うんですけど、中3になった年に全国高校演劇コンクールで神戸高校が優勝したんですよ。 五戸 優勝作品はNHKで放送されるんですけど、震災をテーマに生徒が書いた作品で、それをテレビで観て号泣しちゃったんです。今自分のそばにいる転校生の友達はこんな思いをしてきたのか…みたいなことを、普段直接はとても聞けないことを理解できたような瞬間があって、それで自分は演劇をやりたいって火がつきました。ただ、高校入ったら演劇部の部員はゼロだったんです。だから1年生だけで立ち上げて、私はやっぱり高校生が書いた台本に感銘を受けたので、脚本をやりたいって思って。みたいな感じです。でも台本書くのって一番の作品の根幹になるから、そう簡単に担えないじゃないですか。だから修行するってわけじゃないですけど…
藤田
早稲田大学を中心とした学生劇団にいらっしゃったんですよね?
五戸
そうです。劇団木霊というところで。大学出る時、ちょうど就職氷河期だったから
藤田
そうでしたよね。相当な氷河期でしたね。
五戸
それをいいことに、正規の就職はしないで芝居を続けよう、みたいな。
藤田
それは劇作家として?
五戸
ええ。なので自分で旗揚げをしたんですよ。書いて演出するのは私がやって、劇団員はコアなメンバー4人でしたけども。でも、やっぱり3年目ぐらいになると、みんな契約社員でも仕事に責任を持たされてきて、休みを取れなくなるんですよね。
藤田
わかりますよ、すごくよくわかります。 五戸 それでも休んで来いって言うことは、その人の給料があからさまに減るってことで、そう考えると私一緒にやってるメンバーの生活を担う力がないなと思ったんですよね。なので、修行のために文学座に入りました。1年でやめようと思ってましたけど…。でも、文学座って見て学べという感じで、特に演出部にはあまり教えてくれないんですよ。それで1年の最後の卒業公演でプロのスタッフの人とかが入ってきて、初めて教えてもらえるんです。そこでプロの仕事ってこれか…、私はこの1年何を見てきたんだと反省して、もう2年行くことにしてみた。ただやはり2年行くとより凄さを知り10年ぐらいになっちゃったんですね。

2004年旗揚げの劇団スキマガク公演チラシ
藤田
お好きなんですねやっぱり。演劇っていうか…。
五戸
そうですよね。なんか…
藤田
僕が言うのもなんですけど、10年って相当ですよねぇ。
五戸
相当長いと思います…
藤田
その間に、五戸さんの後輩とかもどんどん演出家をやってるんですよねぇ。
五戸
私、これからどうするんだろう…。とか思いながら後輩の芝居を見たりとか、後輩のスタッフをやったりとか…
藤田
凄いですよね
五戸
大丈夫かな私…とか思いながら
藤田
文学座さんでの新ハムレットは、演出家として初めてのお仕事ですよね。
五戸
初めてです。
藤田
それはご自分が30代入ってから?
五戸
入ってからですので、30…4
藤田
34ですか、僕も同じですよ!
五戸
そうなんですよ。それも不思議な御縁ですよね。

秋田県秋田市
アナログとデジタルの間の世代…
演劇というアナログなものを選ぶ人はいなかった
藤田
すごく面白いと感じたのは、今の時系列の中の出来事を同じ年で体験していたってことですよね。僕もやっぱり阪神・淡路大震災と、その後の地下鉄サリン事件もそうだし、神戸連続児童殺傷事件もそうですよ。大きなショックを受けました。10代後半、僕は高校を中退してしまってその後、ヴィレッジヴァンガード秋田店の店員をしばらくやっていたので、このままヴィレバンで一生働いていこうと思っていたという時期に重なってきます。それから、僕が凄く五戸さんと大きい共通項だと感じているのは、1980年生まれってちょうど“デジタルとアナログの間”って言われている世代なんですよ。そしてちょうど2000年に20歳になった世代なので、希望に満ちあふれているようにも思われていた。うちは両親が公務員なんですけれども…ちょっとルーツの話をすると、僕の祖父は秋田市議会議長だったりもしたんです。
一同 へえ!
藤田
ちょっと不思議な家庭で、うちに選挙事務所があったり、田舎の名士って呼ばれている家に育っていたりして。まぁ、結局は閉塞感も感じて高校を中退してしまうんですけれども、だからただ激動の時間を過ごしてきた世代ですよね。幼少期にバブル期を経験してます。20歳過ぎたらどうなるんだろう。みんな何かに繋がることを欲するかのようにポケベル持ってましたね。後に空白の十年と呼ばれる90年代がなんだか空虚な感覚を持ちながら終わってしまって。2000年代に入り、2001年には9. 11があって。世界はどうなってしまうんだろう…。と思わせるような報復の連鎖が続いていくっていうのを、20代前半の体験として持っている世代なんじゃないかなと思っているんです。小さい頃はもちろん PCも持ってないし、メールアドレスもなかった。だけど、15歳16歳17歳になって PHS という電話を持った時に、デジタルっていう細分化されるような概念が入ってきて、僕の時間がすごく細かくなっていくような気がしたんですね。僕らの下の世代になると、完全にデジタルの速度感で生きている。逆に僕より上の世代はデジタルをどう使いこなせるかどうかという世代なので、俯瞰してみると感覚が全然違う気がするんですよ。大学ではコミュニティやアートの文脈で、世代間の分断があるし、次の世代は何を選んでいくんのか?っていうことが、デジタルとアナログっていう観点で語られていて、それこそ僕が入った大学の同級生たちに演劇を選んだ人は殆どいない。そんなアナログな表現を今更なぜやるんだ?って思われていたのですが、僕は人と人が関わることの重要さとか、肌感のあるライヴ、リアルの重要さってこれからもっと重要になるんじゃないかなって思ったんですね。ただ、そこには激動のコロナ禍があって、戦争が現在も続いていると続いていくのですけれど…。
で、突然なのですが、この話の流れから五戸さんが演出された『石を洗う』の話にうつらせて頂きたいのですが、凄く面白いなと思ったのは、小さな物語の集積が時々巨大な物語になりかけると思ったんです。『 石を洗う 』っていうのは、墓石を洗ってるわけですよね。小川さんという人物が、ずっと中心に居続けて墓石を洗うっていう1人の男のストーリーの周りに色々な物語があって、そして全員が語るじゃないですか。まず、こんなにモノローグがあるという事がすごく面白かったです。

舞台『 石を洗う 』@文学座アトリエ 撮影:宮川舞子
つまり、私達がデジタルとかスマートフォンという風なものに向き合ったり、誰しもが発信をする事が出来て、誰しもがディレクターやカメラマンになれると一見思われる時代の中で『 石を洗う 』の細分化された物語っていうのは非常に現代性を持ってるって思ったんですよ。その時に…無縁仏じゃなくて…
五戸
墓じまい。
藤田
墓じまい!この言葉に感銘を受けました。僕の田舎でも如実に墓じまいが起こっているわけですよね。どんどん人が死んでいき、そして祖先の死を継続して担える者たちがいなくなっている事が起きている現実に、自分の故郷を思い出しました。一番感動したのは対話です。ト書き、モノローグがこれだけ劇作の中で大半を占める話なのに、もの凄く対話が効いてきて、巨大な物語になっているのだなと思いました。確かな小さな物語を積み上げた時に対話という大きい物語の可能性は、これだけの心に迫るドラマを生み出す事が出来るし、人っていうのはやっぱり対話をして、他者を必要として想像力を持ちながら生きていくのだ。という様なメッセージが明確に感じられて非常に面白いと感じました。なので、この感覚はもしかしたらデジタルとアナログの間にいる感覚で演出をなさったから出来たんじゃないかなっていう風に思って、親和性というか、共通性を感じたんです。
五戸
嬉しいです。 藤田 あと、文学座アトリエの公演の特色なのかもしれないですけど、あらゆる世代の方が客席にいらっしゃってましたね。10代からもしかしたら80代までいらっしゃるんじゃないかというぐらいの…
五戸
確かにいろんな世代の方が劇場に足を運んでくださっています。
藤田
それだけの人生の先輩たちが劇場の空気を作っていると、新しいこの劇作を非常に楽しみにされているんだなっていうように感じました。この空気が凄く良いですよね。
五戸
素敵ですよね。私は藤田さんが演出された『 リア王の悲劇 』を観させていただきました。今、藤田さんが仰っていた物語の力みたいなものは確かにとても大きくあって、リア王という人物の人生がセリフからよりも登場人物同士の会話の仕方みたいな、交わされる温度感からリア王がどういうお父さんだったかが見えてくるのが、凄く面白いなと思って観ていました。だから、どうやって稽古しているんだろう??みたいな事も考えちゃって。きっと皆さんで目的地じゃない何かを共有しているっていうか、これが普遍性かと思いながら物語の世界に誘われていって、でもエドガーが女性という部分に、私はこれは未来なのかなと思ったりしてしまって、女性が跡継ぎであることを誰も疑問に思わない世界がそこに展開しているときに、理想じゃないけれども、男女完全平等化のような感じもするなとか、とても古い作品なのに、現在どころか未来のような印象を受けました。あとリア王たちが彷徨う荒野の美術とかも、電線なんですか?表現も面白いなと思って…


『 リア王の悲劇 』@KAAT神奈川芸術劇場 撮影:宮川舞子
藤田
ターポリンですね。
五戸
ターポリンですか。
藤田
いわゆるシートですよね。黒く敷かれたビニールの袋みたいな
五戸
現代のゴミ捨て場みたいな。面白いなと。ゴミの中でリア王が何か自分らしい瞬間を見つけていく。電線の切れ端のようなものが突き刺さってるようにも見えました。
藤田
そうですね。あれは、棒にターポリンを巻いてますね。
五戸
そうなんですね。自分が感じている荒野とリンクするみたいな感じ。本当の荒野って最早なかなか行けない場所だなと思った時に、皆さんで考えてこうやって再構築したのかなと想像すると、凄くわくわくするというか、それが感じられる事で初めて感覚としてリア王がわかるように思いました。こんな悲しい話で、お父さんなりに精一杯その時代を生き抜いたんだろうなみたいなのが、ちょっと見えてくるっていうか、娘たちだって精一杯フォローしようとはしてたんだろうなみたいなのがちょっと…業みたいな
藤田
( 頷いて )業ですね。
五戸
業とはこれか!みたいな。でもシェイクスピアってめちゃくちゃ華麗なセリフなのに、その業を見せられるっていうのがやっぱり凄いなと思って。どうやって稽古されているんですか?
第2部につづく・・・
シェイクスピアに女性の武人…
戯曲を疑うことで見えてくる新たな価値観
藤田
そうですね…。近未来というのは非常に近くて…というのはですね。3世紀から5世紀のブリテンを軸としたお話なんですけれども、カンパニーの皆さんとスタートとして共有したことは、シェイクスピアが敢えて時代を設定した意味を考えたいという事でした。当時のローマ中心の世界地図を考えると、ブリテンってものすごい田舎なんです。要するに世界の隅っこというか、イギリスは別にそこまで大国じゃないって考えたときに理解出来た事が沢山ありました。馴染みのある共通の光景がない、国と時代。そう考えるとこれは3世紀から5世紀を書いた近未来もしくはあり得たかもしれない世界の話と捉える事も出来る。あり得たかもしれないリア王の物語だと考えた時に、女性が普通に武人をやっているという世界に辿り着きました。そもそもリア王って長女ゴネリルと次女リーガンの財産分与が先頭に立ってるわけですよね。そう考えると女性が元々この国を動かしていることは明らかであって、結果そこに何か読み解きのヒントがあるんじゃないかなと思い、翻訳の河合祥一郎さんにも相談しました。道化とコーデリアを1人の役者が演じる事はシェイクスピア時代では一般的でした。また全役、男性の役者だけで演じているわけですから男性の価値観で物が作られて行きがちだと思うし、マクベスやハムレットやオセローやリア王はみんな男性ですよね。ここにあり得たのかもしれない女性史とかが新しい価値感を生み出す可能性をこの作品にも内包しているんではないか。という所に着眼点を置いて、武人の女性がエドガーを演じるという仕掛けで構築されていったというのが稽古に入るまでの演出プランです。で、稽古では今話したような話題を何度も話してるんです。この有り得たかもしれない未来像を稽古を通して言語化していく。そういう事が出来たのは、カンパニーの皆が共通してシェイクスピアの世界を固定概念に捉われないイメージとして持てたという事かもしれないです。凄く価値観の違う方々が集い、それぞれに確固たる考えがあるからこそ、違いを受け入れながら対話できた事も良かったと思います。

『 リア王の悲劇 』稽古写真
五戸
それはすごい大変そうですね…。
藤田
それが狙いだったというか、いわゆるリア王演じる木場さんが役者として辿ってきた歴史と、女性コロスの皆さんの演技者としての経験、辿ってきた歴史とかって全然違うわけですよ。各々の価値観が遠いカンパニーほど、その中の共通言語をどう見つけていくかが面白いとも思っているので、一つ一つの対話を丁寧に重ねていきました。木場さんとは稽古始まる数ヶ月前からかなり話していました。木場さんにはやりたいリア王のイメージがあり、提示するので見てほしいと最初にお話がありました。木場さんとは演出助手の時代からお付き合いがあるんですけれども、御自分で61年間思い焦がれたリア王の姿がありました。小学校から中学校になる時にリアを演じる機会があったと、その後に今の松本白鸚さんのリア役の時に道化を演じている。様々な道筋を辿ってこられて、自分がシェイクスピアのリア王をやるならば、既存の考えには囚われないという強い想いが最初からあったんですよね。
五戸
かっこいい
藤田
世界中で演じられてきたリア王と同じ道を辿らないことを、かなり明確に言語化してくださった上で稽古に臨んだので、凄く良い仕事ができたと思います。結果として、今回稽古場から舞台稽古まで、木場さんへのプロンプはほとんどなかった。もう完璧に台詞が入ってから稽古に来ていたので…。
五戸
凄い…凄すぎる…。
藤田
皆さん焦りますよ。なんだ…?!と( 笑 )それから、それぞれの人物のあり方というのは大きく話しました。後は、稽古を進めていってこのシーンは時間が必要だなという所は、そのシーンにいる方に来て頂いてじっくり対話しながら作っていきました。それを通し稽古でまとめて、上演時間を少しずつ短縮していくっていうプロセスでした。だから、対話は実によくしましたね。シェイクスピア、言葉の演劇ですから、勿論稽古場でも対話が必要なんですけど、その対話というのは、セリフに何が書かれているかよりも、そこに至るまでの感情の過程とか、相手の言葉を受けた上でどのように変化していくのかという事を話しましたね。皆とお互いの意思疎通が出来たなという風に思います。そこに翻訳の河合祥一郎さんが細かくカットとか直しの為に稽古場に伴走してくださって、今回は新訳の初演ですから、そこのスタッフワークも実に合致していたと思います。初めてお仕事をするスタッフの方が多かったんですけれども、KAAT 神奈川芸術劇場の皆さんが特設会場を作ったり、客席をデザインして構築してくださったので、その部分での対話も良く出来たと思える進め方でした。
五戸
はい、もう成る程というか、目に見えるような感じです…。
藤田
稽古を重ね、戯曲の内容に関して分からない事や自分で解釈しきれてない事は、素直に分かりませんと言いました。その方が同じ目線で藤田はやろうとしているんだなっていう風に皆さんが思ってくださるので。あとは特にコロスの皆さんとどれだけ話すかってことも大事でした。コロスを観客代表という創りにしたので、話しながら僕自身沢山の発見をしていきました。
あえてト書きを読む…
ト書きが音楽のように聞こえ、会話が際立つ
藤田
五戸さんは『 石を洗う 』の稽古をどうやって進めたんですか?
五戸
そうですね。これは書き下ろしなので、私が宮崎に行ってどんな所で書いてらっしゃるかを見てきたり、あとはこれはいつも永山さんがなさっていることらしいんですけれど、永山智行さんに出演者の皆さんと会ってもらってインタビューしてもらったりとか。
藤田
という事は当て書きですよね。まずどうして永山さんとお仕事されることになったんですか?
五戸
これはですね、実は文学座の文芸編集室の徳田玲子さんという方が永山さんの戯曲集を読んで徳田さんがこれは文学座でやるべきだと企画を立てました。
藤田
なるほど。
五戸
私ちょうどその年に自分で企画を出していなくて、演出を依頼されたというのが最初の経緯です。でも戯曲を読んでみたり、宮崎に行ってみると、うお‥これは凄い…というか、今までにない文体ですし、まずト書きをどうするのかを考えるのが楽しそうだなと思って、私も楽しみに意気揚々と企画に参加しました。
藤田
ト書きを読むって、モノローグになりそうですよね。
五戸
はい。出演者の中の年長の3人は80超えてるんですけども…。
藤田
そうですよね。
五戸
1番上は82歳なんです。
藤田
え?!
五戸
だから、覚えられるんだろうかみたいな、台本の完成を待っている間に戦々恐々としてくる空気感もありますし。
藤田
え?稽古初日に台本は無かったって事ですか。
五戸
ありましたけれども、最後まで来たのが、稽古初日の2週間前くらいだったかな。
藤田
稽古初日の2週間前ですか?
五戸
それくらいですかね。
藤田
しびれます。
五戸
結構……そうですね。
藤田
皆さん、プレッシャーがあったのでは。
五戸
覚えるにはギリギリだったんです。ト書きを誰が読むか決まってないから、兎に角早く決めて欲しいと言われていて。割り振りとか結局やりながら進めたって感じなんですけれど、その中でも、“この世界は祈りでできてるんだ”というテーマが私には凄く響いて、だからもうそれをみんなで信じて突っ走るといいますか…。これを演出する前に沖縄に行っていて、いかに地方で起きていることが東京に伝わりにくいかみたいな事も物凄く身をもって感じていたんですね。なので、この戯曲にはそれを伝える使命もある。そして必ず面白い作品になると思うという事を滔々と語り尽くし、まずドキドキ感を払しょくするエネルギーを共有して、目的の共有をするという所から始まりました。
藤田
どういう系列に入るんですか?ト書きを読むっていうのを僕は初めて聞いたので。日本演劇史のどこに入るんですか?
五戸
私も初めてですけど、落語を見て思いついたらしいです。
藤田
なるほど落語・・・確かに落語が近いですね。
五戸
そうなんです。
藤田
もしくは、講談ですか・・・。講談にも通じると思います。 五戸 永山さんご自身が主催されている「 こふく劇場 」は、みんながすり足で動いたりですとか、すごく様式化された演出をされるんです。例えばト書きも3人ぐらいが全員で一緒に言ったり、それもメトロノーム120とか一定のテンポで稽古するって聞きました。「 こふく劇場 」の公演は観たことあるんですけど、それはそれで物凄い荘厳で、ト書きが言葉なんだけれど音楽のようで。でも、その中でやっぱり会話が際立つようなとても独特な印象でした。
藤田
勉強不足で申し訳ないのですが、今回の観劇で、永山智行さんを初めて知りました。ジャンルとしてあるのか、興味深いと思っているのですが…
五戸
鈴木忠志さんとか太田省吾さんの本をよく読んでいらっしゃるとお聞きしました。
藤田
はい。なるほど、です。
五戸
でも作家でもあるので、作家の時は取材対象に対する敬意の払い方が尋常じゃなく、取材した事に嘘を入れられないと仰ってました。なので、セリフがとても生々しいというか…。ドラマにしようとしてないんですよね。私が劇作を勉強した時に学んだ理論が台詞に全く入ってないなと…。
藤田
わかります。
五戸
面白くする為に書いてない。なんていうか、そこにいる人にリスペクトするみたいな書き方だなって凄く感じましたね。それを「こふく劇場」の場合は出演者が若く、80代の登場人物がいても40代の人が演じるのである距離が生まれるんですよ。でも文学座の場合は本当の80代が演じたりするので、距離がない( 笑 )
藤田
鵜澤秀行さんと寺田路恵さんのお芝居、涙なしでは観れなかったです。
五戸
本当に凄い共感力でした。寺田路恵さんは台本を記憶するのが誰よりも一番早かったんです。立ち稽古初日には完全に全部覚えていました。若さがなくなってきた分、どうやって補うかみたいな、先輩たちの裏の苦労みたいなのを凄く感じて、毎朝稽古開始時間より早く来てセリフ合わせしてるとか、80代の先輩方がやってるんですよね。これが俳優魂か!じゃないんですけど、全然おごるんじゃなくて面白いもの作りたいっていうか、良い芝居がしたいということに対して、どれだけ誠実なのかっていうのを感じました。文学座のやり方で永山さんのあの戯曲を立ち上げるには、その出演者の姿をそのまま見せるしかないので、そこら辺はあまり演出をつけず、会話だけはちゃんと構築するようにやりました。

『 石を洗う 』稽古写真
藤田
なるほど、白いコートを着たりっていうのも演出ですよね。
五戸
あれはそうですね。最初は福島で作業している白い防護服が浮かんだんですよね。それが結局、レインコートになりました。
藤田
レインコート。自分は東北出身なので、やっぱり凄い重要でした。ある種のドキュメンタリーみたいな要素もあるんですよね。
五戸
そうですね。やはり会話の部分が取材を元に作られているっていうのがあるのかもしれないですね。
藤田
そこが良かったですね。
五戸
多分、他の劇作家の方にはこういう書き方は怖くて出来ないんじゃないかと思うんですよね。
藤田
出来ないですよね。起承転結とか、いわゆる書き方のセオリーというものから違う文脈で作られているんですよね。
五戸
そうです。
藤田
不思議です。でも稽古は大変だったと思います。当然出演者の中には先輩とかもいらっしゃいますよね。
五戸
そうです。例えば、鵜澤さんは私が研究所の研究生だったときに主事だった方で、当時私はバイトをしていたんですけど、授業料を滞納していたときに “ 50円ずつでも良いから払いなさい ” と分割をさせてくれた先輩だったんですね。
一同 ( 笑 )
藤田
そういう先輩と、演出家との関係になるとどういう風な事になるんですか?
五戸
普通に演出家として見てくださいます。なので、私の方がとても変な感じっていうか…
藤田
作品に流れる空気がとてもフラットだなって思ったんですよ。皆さんの演技が凄く素直というか、そのまま生々しく喋ってらっしゃったので、それは演出家と良好な関係がないと、この状態にならないなっていう風に思ったんです。
五戸
皆さん、ちょっとここがやりにくいとか、そういう事もはっきりと仰ってくださるので、わかりやすいです。黙ってかしこまっている人たちじゃないというか、それはとてもやり易い事だなと思います。
藤田
五戸さんは、稽古場でもこんな感じの柔らかい方なんですか?
五戸
こんな感じですね。
藤田
それは凄く良いですよね。話しやすいですよね、役者からすると。
五戸
本当ですか?
藤田
親しみやすさは大事ですよね。何でも言えるっていう事が大事だと思ってます。
五戸
そうですよね。
藤田
僕は役者が言いづらい台詞がありますって言いたいけど言えない。って状況を作りたくないです。
五戸
そうなんですよ。
藤田
色々と話せて、役者のモチベーションが上がれば芝居が変わりますよね。
五戸
そうです。
藤田
素敵です。下手に出るわけじゃなくて、風通しがいいというか、役者側の年齢やキャリアも関係なく、言いやすい空気を作ってらっしゃるのは素晴らしいと思います。
五戸
風通しを良くしようと心がけていらっしゃるのは藤田さんも同じなんだなとさっきの話を聞いて思いました。やっぱり同じことが多いですね。
藤田
やっぱりこれって演出助手の経験ですよね。できるだけ言いやすい空気を作るのが大事だなっていう風にかつてずっと感じてました。
劇場とは真実の感情に出会う場所
―今後のビジョンをお伺いできますでしょうか?
藤田
自分の仕事は一体何かって考えると、演劇を作る事で…。それで生の重要度とか、喜怒哀楽を他者と共に想像する事が出来るのって、やっぱり劇場だと思うんですよね。そこには僕が考える“真実”があるんですよ。リア王にも、もう一つ大きなテーマがあって、“真実を語れるもの”と“真実を語れないもの”なんです。リアに真実を伝える人、真実を伝えられなかった人、真実を伝えることを拒絶した人っていろんな真実という言葉を司る者が劇中にいます。劇場はやっぱり“本当の言葉”とか、自分の“ 真実の感情 ”に出会える場所だと思うんです。すごく愛しい場所だし、お客様と出会える場所をとても幸せに持続したいって思います。それが今できる全てかなと。もちろん僕は劇場だけがそうではなく、そこに至る過程も大事だと思います。稽古場で俳優と対話し、スタッフと対話し、自分はこういう物を作りたいんですって。お互いのその時の感受性を持って対話し合えば物を作れるっていう、それが劇場だなって思っているんですね。物語っていう観点でいくと僕はやっぱりリア王のような壮大な物語を演劇として作っていく事って当たり前のようでいて、すごく新しい価値観を持ちながら上演するのはとても大変な事だと思いました。もちろん創作する喜びの方が大きく、新しい事に挑戦して、大きな物語が喪失しないようにしていきたいなという風に思います。僕自身、10代の頃から読んでいる本が基本的に変わらないんですね。例えば、夏目漱石の『 こころ 』は10代20代30代40代で感じる内容がまるで違います。僕は10代の頃に凄く時間あったので、ヴィレッジヴァンガードのバイトだけをやっていたので( 笑 )
一同 ( 笑 )
藤田
その頃から『 こころ 』とか『 罪と罰 』とか、『 銀河鉄道の夜 』、あと『 百年の孤独 』とか。黒澤明監督の映画とか、フェリーニ、キューブリックの作品。『 ゴッドファーザー 』等を見ていて、その映画の世界が自分の演出の礎にあります。共通してるのは大きな物語であること。愛や家族や人を見つめた大きな物語は僕の中で残り続けていいます。とはいえ小さな物語もとても面白いし、現にちょっと文脈からかも逸れるかもしれないんですけど、今の自分より下の世代は正直 YouTubeやネット配信の方が身近で、もしかしたら大きな物語に深く接してないかもしれないんですけど、そういう20代の今という世代の役者やスタッフと話すと、自分とは感性が違って面白いなって思うんですよ。『 石を洗う 』も20代の感性と演技が面白いじゃないすか。
五戸
面白いですね。
藤田
だから僕は今後の目標としては、大きな物語と小さな物語の間で存在している物作りの中で、劇場の真実を見つけていきたいと思います。大きな物語だけじゃないし小さな物語の集積だけではなくて、その中に両方の価値観を持ったような演劇やミュージカル。ちょうど、自分の上の世代と下の世代、中間にいるので、相違点を挙げて分断するのではなくて、お互いの価値観を受け入れながら何か新しいものを作れる。僕はそれを融合して作れる立ち位置にいるんじゃないかなと思って自分に課して背負いたいなっていう風に今は思っています。 五戸 私はやっぱり…本当は今も劇作家になりたいので、現代の難問について物語にしたいと思っているんです。でも一体どう取り上げればいいのかとか、どう作ればいいのかとか、すごく難しくて。これはいつ解けるかわからないんですけど、でも難問と対峙しつつ手のひらの中に知恵の輪を持っているみたいな感覚でずっといるのが、私は好きなのかもしれないなと思っています。この知恵の輪は先輩たちも解こうとしてきたと思いますし、未来の人は私ほど苦労せずに分解できちゃうかもしれないんですけど、やっぱり現代の私は現代の大きな物語を描きたいとどっかでそう思ってるんです。演出も勿論大好きなのですが、私の場合ゼロから生み出したいんだと思います。多分これはずっと死ぬまでそうなんじゃないかな。自分の性格なんだろうなという気がします。
藤田
非常に面白いです。なぜなら結局、書いた作品より演出の方が多いわけですよね。
五戸
そうですね。
藤田
何か必然だと思います。書きたいという思いがあって、劇作に対するリスペクトがあるからこそ、丁寧な演出ができるんだなっていう風に思いました。
五戸
ありがとうございます。
藤田
やはり、遠いようで近いと五戸さんを思いました。
五戸
私もとても近さを思いました。めちゃめちゃおもしろかったです。

日本演出者協会広報部 桒原秀一・平松香帆
担当理事 EMMA